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●手取川

自宅周辺つまり手取川中流部のことですが、数日前は秋一色でした。

河原山付近の手取川
河原山付近の手取川 撮影:2006年11月30日
奧の山は笠山です。

高倉山から手取川中流部を俯瞰
高倉山から手取川中流部を俯瞰 撮影:2006年11月25日
渓谷状の手取川が蛇行しています。川岸にはなぜか杉や大きめの木が生えてます。昔の人が植えたものか、あるいは用材として使用せずに放置してきたものと思います。
河岸の保護?大水対策?

釜清水付近から手取川
釜清水付近から手取川 撮影:2006年11月25日
奧の山は高倉山、そして白山です。

全てHDR処理です。
写真家としてHDR処理には大きな可能性を感じます。
どう使うかが大きな問題ですが。
いずれはカメラ自体がこの機能を実装し、オートで最適処理を行うような時代が来るかもしれません。
そうなれば、絵でもない写真でもない、新写真の分野が定着する可能性があります。
HDR処理の定着は、カラーフィルムの出現に匹敵する大きな転換期になるかもしれません。

コメント

 3枚とも、空の色が気になります。

言われる意味は何となくわかります。
しかし、単純に空だけ色調を変えたら解消する問題ではないかもしれません。
人は明暗差のある部分ごとに適正露出でスキャンして、頭の中で1枚の絵に合成するという得意技があります。
HDRはそれをピクセルごとに行います。
旧来の写真(デジタルも含む)ではそんなことはできません。「光と影」とか言われますが、要は一定の範囲の表現を切り捨てているんです。客観的に見たらこの写真の演出は、あり得ないこと、なじめないことだと思います。しかし、過去に機材やフィルム、撮影技法はそれの違和感を改善するために改良されてきたと言えると思いますし、過去の良い作品が見る人の素養を養ってきたんでしょう。
私は写真をはじめる前(素養がない)、コントラストを演出したような写真(名作)は、体が受け付けなかった記憶がありますが、今ではそのような作品も良いと思えるようになってます。
HDRはそこまでこなれてないんだと思います。
ソフトウエア的にも、写真家の技術も幼いんでしょうね。
だからこそ、可能性を感じるんです。

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